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「私のがん記録」は、肺がんと戦っている自分の姿を見つめるホームページです。

うたかたのシナリオ

34年ぶりの彼女

[愛がすぐそこにある。いつも背伸びしていつも走っていたのに、追いつけなかった愛]
セピア色の一枚の便箋に、22歳の女文字が躍っている。
納戸の整理をしていて偶然見つけた34年前の便箋は、石川達三の文庫本「結婚の生態」の中ほどのページに挟まっていた。
彼女と知り会って半年、結婚を意識し始めた頃で、家庭の持ち方とか夫婦の在りようが具体的に綴られた「結婚の生態」は、未知の生活へのしるべだった。
気にいった文章に赤や青の傍線を引き、彼女に手渡した。
私の性格や趣向、私なりの喜怒哀楽の感情表現があることなど、個性を丸ごと知って欲しいと思った。
それには、同じ本を読み合い語ることが最も近道だ。
先人が精魂傾けて著した本、共感できる言葉や表現が必ずあり、私を深く知って欲しいという思いも伝わる筈だ。
山本周五郎、山手樹一郎、松本清張、森村誠一、石川達三。
その頃読んだ本の全てを彼女に手渡した。
彼女の本を読むお決まりの寝姿までを想像しながら、本の共有を楽しんだ。

彼女が私の妻になり34年。
一人娘が嫁ぎ、振り出しに戻ったように始まった二人だけの生活に、思いがけないことが待ち受けていた。
妻の更年期障害。
55歳の誕生日に発症し、56歳の今も苦しみ続ける更年期障害。
こんなに大変なこととは一緒に暮らす者のみが判ること。
本人さえもはじめは理解できなかったに違いない。
日常の営みがようやく楽に運ぶようになり、甘いも酸いも選り分けられる年代になって突然襲い掛かって来た障害。
責任感の強い、がんばる性格が症状を重くさせたのか。
妻の更年期障害がきっかけとなり、7合目にかかった人生をどう生きるかと自問した結果が、周囲を含めて私が進む道だと疑わなかったサラリーマン中心の路線の変更だった。
結婚した地であり彼女の生まれ育った地である奥飛騨に、20年前、ささやかな別荘みたいな家を建てていた。
そこに移り住むことに思い至ったのだ。
何事も二人で相談して決めてきたが、今は相談自体が妻に負担をかける。
ある程度の結論を出し、妻の調子を見ながらさりげなく切り出す。
定年を控えたサラリーマン生活に終止符を打つことを、こうしたやり取りの中で決定した。
富山・高山・東京・金沢・名古屋・静岡・岐阜と転勤し、単身を経験しなかったこともあって我が家には家財道具が多い。
奥飛騨の別荘は、転勤のたびに収まりきれなくなった家電や家具や衣類で溢れている。
二人とももったいない症で、買い替えで用を成さないもの、かつての趣味の品物、一人娘の思い出の品などが積み重ねられている。
とても移り住めるものではない。ここは、心を鬼にして不要なものは見境なく捨てるぞ、とサラリーマン最後の夏の連休に先ず取り掛かったことが納戸の整理だった。

34年前、私が読んでから彼女に手渡した本は、彼女が妻になってから夫婦のものになっていた。
今、納戸でその60冊を越える本と対面している。
そして、「結婚の生態」と彼女の便箋は、山本周五郎と山手樹一郎に小さく挟まっていた。
[愛がすぐそこにある。いつも背伸びして、いつも走っていたのに、追いつけなかった愛]
短い文を繰り返し読み、踊る彼女の気持ちをよんだ。
あの頃が蘇ってくる。その彼女が今、更年期障害で苦しんでいる。
「結婚の生態」の、私が赤線と青線を引いた文章を拾い読む。
妻に求める夫の気持ちが不遜に赤く青く点滅している。
私は、あの頃から彼女に求め過ぎたのではないだろうか。
妻となり、共に山谷を乗り越えてきたつもりだったが、局面ごとに私は都合の良いように妻を従わせてきたのではないだろうか。
そのことが妻のストレスとなって今の更年期障害につながったのではないだろうか。
[愛がすぐそこにある。いつも背伸びして、いつも走っていた] 純な彼女を56歳の妻にしたのは間違いなく私であり、共に歩いた道そのものでもあり・・・・・
あれ、涙が出てきた。
セピア色の便箋を汚すまいと、溢れる涙を納戸の床に落とす。
涙もろくなったかな。
妻よ、更年期障害なんかに負けずにがんばれ。
いや、がんばらずにいい加減に、これからの人生を楽しむことだけに思いを馳せよう。
手を取り合って、一緒に。

本は、その時々の環境で自分の感情に働きかけるもの。
彼女も[愛がすぐそこにある]と走り書きして、或る思いで「結婚の生態」に挟み込んだのだ。
この時のことを覚えているだろうか。
一冊の本を介して喜びと感情を共有した青春。
処分するつもりで本を括ったが気持ちが揺らぐ。
彼女が妻になった原点、青春の証。
60冊位、どこかに収まるだろう。
納戸の整理は序盤から躓いた。

『完』

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