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「私のがん記録」は、肺がんと戦っている自分の姿を見つめるホームページです。

うたかたのシナリオ

ふたたびの道

【登場人物】
深実 惣次 53
祐美 52:惣次の妻
由生子25:惣次の一人娘
敏夫 59:惣次の兄
祥子 53:惣次の義姉
彰一郎(4歳当時):惣次の父
柄策(85歳):惣次の祖父
綾乃(85歳。19歳及び25歳当時は由生子の二役):惣次の祖母

1.雑草の林
背広、ネクタイ姿の惣次(53)が、背丈を超す雑草を掻き分けて、独り歩いている。
雑木を透かしての太陽の光が、指し込む角度で日没が近いことを告げている。
  惣次、道に迷った感じ。
  出口を求めて、顔に雑草や雑木の小枝が傷を付けるのも気づかず、焦っている。

2.山里
惣次が、雑草の中から這い出てくる。
広場に出て、ほっとして辺りを見回す。
  広場の中央に4戸程の集落。
  近づくと、見るからに朽ち果てている。
  家々の壁土が剥がれ落ち、玄関の引き戸が外れていて、板屋根に草が生えていて、
  長く人が住んだ気配が無い。
  家々の屋根を越す杉の木が、周囲を囲んでいる。
  その杉の木が、薄暮の向こうの闇の中にまで続いている。
  時代に、置き去りにされたような集落。
  雪が蛍のように舞ってくる。
空を見上げて、ぶるっと身震いする惣次。
  惣次、どきんとする。
  中央の家から灯りが洩れているのだ。
  確か、さっきはそんな灯りは無かった?
  カメラが惣次の目線に変わり、ゆっくりと灯りに近づいて行く。
  壊れかけた引き戸の玄関から漏れる灯り。
  惣次、吸い寄せられるように入って行く。

3.家の中
  囲炉裏が静かに燃えている。
  裸電球が一ヶ灯っている。
  天井から、煤で真っ黒になった鈎の手が下がり、鉄瓶から湯気が出ている。
  天井は、竹で編んである。
横座に柄策(85歳位)が彫刻をしている。
  下座で綾乃(85歳位)が縄をなっている。
  柄策と綾乃は、手を止めずに惣次に微笑。
  怪訝な表情の惣次。
  微かに呪文のような歌声が聞こえてくる。
綾乃の声「遥かに見える 日本海―――」
  聞き耳を立てる惣次。
  綾乃が歌っているのに気付く。
綾乃「お船が遠く 霞んでる」
  惣次、二人の微笑と、綾乃の歌につられて柄策の対面に座る。
  以下、綾乃の歌声が小さく続く。
綾乃「蜜柑の花が 咲いていた」
  「想い出の道 丘の道」
  「遥かに見える 日本海」
  「お船が遠く 霞んでる」
柄策、ノミにふっと息を吹きかけ木屑を飛ばし、囲炉裏の框に置く。
柄策、鉄瓶のお湯を急須に注ぐ。
  柄策、ふたたび彫刻にかかる。
柄策の手元を見る惣次。
  観音像が形を整えつつある。
  穏やかな、懐かしいような表情になってくる惣次。
  柄策、急須から茶碗にお茶を注ぎ、惣次に差し出す。
  受けて、ふっと息をふきかける惣次。
  柄策がのみに息を吹きかけたと同じ仕草。
温かい湯気が頬にかかり、気持ちが和む。
惣次、柄策と目が合い微笑。
その笑みのまま綾乃と見合う。
綾乃、薪をくべる。
  ぱちぱちはぜる薪。
  灰が舞う。
  灰を目で追う惣次。
  玄関から戸外へ舞う灰が雪に混じる。
  雪を見ている惣次、唖然とする。
打掛白無垢の由生子(25)が横切って行く。
歩く由生子がスローモーションになり、

4.タイトル
  「ふたたびの道」

5.山里
  打掛白無垢の由生子が、スローモーションで歩く。
誰かにエスコートされているように右手を差し出し、しずしずと。
雪が由生子を守るように、周囲を舞っている。
静けさを破って、由生子の声が先行する。
由生子の声「やっぱり打掛白無垢にしておけば良かったかしら」

6.深実家、リビング
  マンションのリビングルーム。
  レースカーテンが、窓外の風で部屋に流れてくる。
  甚兵衛姿で、ソファでテーブルに足を投げ出していた惣次が、うたた寝から目覚める。
  隣の和室で、祐美と由生子が花嫁衣裳のカタログを見ている。
祐美「だから言ったでしょ、由生(ゆう)には白無垢が似合うって。お母さん、間違いないんだからね」
由生子「変更効かないかしら」
祐美「さあね」
由生子「泣きぼくろの人、口ではどうぞどうぞって言いながらいやーな顔するのよね」  
祐美「そうそう」
由生子「ね、お父さんはやはり白無垢の方がいい?」
惣次「うん、ああ」
  惣次、寝ぼけている。
祐美「断然白無垢だって、あなたも言ってたじゃない」
惣次「ああ」
祐美「(ちょっと惣次が気になり)甚兵衛でうたた寝しちゃったら風邪ひくわよ」
惣次、立ちあがり、カーテンを開いてベ
ランダに出る。

7.べランダ
名古屋ドームがライトアップされて、マシュマロのように浮かんでいる。
9階から見るマンション群の明かり。
車のライトが行き来している。
惣次、ベランダに出て来て、
惣次「夢―――」
  惣次、ぼんやり眼下の眺望を見る。
祐美の声「どうして急に白無垢よ」
由生子の声「誰かにね、親戚の人かな、白無垢見て欲しいなって。それと、エスコートされること、ふっと想像しちゃった」
祐美の声「白無垢で、ふっと?、お父さんに?」
あれ、という表情の惣次。

8.リビング
惣次、戻ってくる。
惣次「寝るかな」
  祐美と由生子、顔を見合わせるが、カタログに戻る。

9.洗面所
  惣次、やってきて歯ブラシを取る。
  惣次、鏡を見る。
口ひげが伸びていて、中に白い毛が2、3本見える。
惣次、右手親指と人差し指の爪で、白い毛を抜く。
惣次、抜けない。

10.地下鉄車内
  吊り皮で揺られている惣次。
  背広を鞄と一緒に小脇に抱えている。
  「次は、名城公園」のアナウンス。
  空席が出来て座る惣次。
  週刊誌の吊り広告を見る。
  『田舎で暮らしませんか』の特集。
  『廃屋を手に入れる方法』
  『自給自足の生活へ』などの文字が踊っている。
  惣次、文字の焦点が合わず、指で目頭を押さえる。

11.オフィス・廊下
  惣次が歩いてくる。
「営業部」のプレートの前で、ちょっと立ち止まる。
元気をつけるように、ネクタイを整えて営業部に入って行く。

12.営業部
惣次、おはよう、と入ってくる。
「営業第一課」のプレートが、天井から下がっている。
惣次、第一課の島長の席に来る。
8人の部下がチーフ席に集まるように椅子を寄せて、朝ミーティングをしている。
惣次、壁時計を見る。
〔俺が出社する前にミーティグ始めるなよ、こいつ等〕という感じ。
惣次、スーツを背後のロッカーに入れ、自席から身体を乗り出してミーティングに参加しようとする。
チーフが今日のスケジュール調整をしている。
惣次、チーフの背が邪魔。
  惣次、椅子を移動しかけたときにミーティングが終わる。
惣次、いらいら。

―時間経過―
惣次、回覧物を見ている。
第一課は、チーフが一人だけ残り、忙しそうに電話で出張中の課員を指示しまくっている。
惣次、あくびをかみ殺す。
惣次、思い出したように予定表のボードに向う。
8月10日に「TODAY」の表示。
惣次、人名トップの「深実課長」の16日(金曜日)の欄に「休暇」のマグネットを貼る。
電話を終えたチーフが、惣次を見ていた。
惣次「16日、休暇しますから」
チーフ「どーぞどーぞ」
居ない方がむしろいい、という風なチーフの態度に、いらつく惣次。
気まずい雰囲気。
3階の窓から外に目を移す。
名古屋のシンボルタワー、テレビ塔が見える。
その下に緑が広がる。

13.栄セントラルパーク
人工の川が流れていて、
テレビ塔の周囲の緑。

14.深実家リビング(夕方)
惣次がリュックにひとつひとつ確認して詰めている。
呆れ顔で惣次の作業を見ている祐美。
由生子は、リュックの中を覗いている。
惣次「懐中電灯に電池のスペア」
祐美「変な人」
惣次「蚊取線香―――、なにが?」
祐美「どうして今行かなきゃならないのよ」
惣次「宇羅盆に間に合うだろ」
裕美「毎年行ってるわけでもないし、3人一緒もあと20日しか無いというのに」
惣次「せっかく休暇にしたのに、何にもすること無いって言うから」
祐美「仲人さんへのご挨拶が中止になって、結果的にそうなっただけじゃない」
惣次「磁石―――」
祐美「仕事変わったばかりで、休暇取り難いってぼやいていたくせに。休暇取り止めたらいいのに」
  由生子、惣次の作業を見ていて、時々惣次の顔をうかがっている。
惣次「一度取ったものは、引っ込みがつかないの。虫刺され、とーーー」
祐美「拗ねおやじ」
惣次「一応の防寒着、と―――」
裕美「お兄さん家に行くのに、なんで防寒着よ」
惣次「だから、ついでに山へも行くって言ったろ」
祐美「拗ねおやじ」
由生子「お父さん、明日何時?」
惣次「5時かな。どうして」
由生子「私、一緒していい?」
驚く惣次と祐美。
由生子「ね、私も行こうかな」
祐美「なに言ってるの」
由生子「叔父さん家で一泊よね。行きたい。行きたくなっちゃったよ。お母さんいいでしょ、ね」
あきれている祐美。
由生子「由生の大好きな叔父さんに、結婚の報告しなきゃ」
祐美「大好きな叔父さんには、20日後に逢えるでしょ」
由生子「式の前に!」
  3人、それぞれの表情で見合っている。
祐美「式場どうするのよ」
  祐美がしようがなく、降りた。
由生子「お母さん一人で行って来てよ」
祐美「まったく」
由生子「一人で大丈夫よね」
祐美「べーだ」
由生子「ごめん」
惣次「――――」
祐美「どっちにするの!」
由生子「どっち?」
祐美「白無垢」
由生子「白無垢っ!」
祐美「お母さんが一人で、泣きぼくろに変更をお願いするのね。急で済みませんが白無垢にして下さいって」
由生子「一応、試着しといて良かったね」
祐美「(ふくれて)良かったね」
惣次、いそいそと立ちあがり、
惣次「携帯電話、と」
祐美「いつも、期待通りになっちゃうんだから。あなたって」
  祐美、苦笑で、怒っているわけではない。

15.山道
  ひぐらしが鳴いている。
濃い緑から秋口の日中の陽射しがこぼれてくる。
二人並んでも十分に余裕がある山道だが、雑草が侵入してきている。
惣次と由生子が登ってくる。
二人ともリュックを担いで、ハイキングスタイル。
惣次、棒切れで蜘蛛の巣を払いながら歩く。
由生子「もう、ひぐらしが鳴いてる。ひぐらしって寂しいね」
惣次「かなかなかなかな(ひぐらしのまね)、かな?」
由生子「ふふ」
惣次「疲れた?」
由生子「ううん。――ね」
惣次「ん?」
由生子「なに考えてたの?」
惣次「なにってこともーー」
由生子「ほとんど喋らないじゃない。叔父さん家(ち)出てから」
惣次「お互いだ」
由生子「感無量だったんでしょ。由生と二人だけで歩くのも最後だなって?」
惣次「自分で言うかな」
由生子「なんでも思ったこと言っとかないとね。お父さんもそうしなさいよ。20日切ったんだからね」
惣次「20日か」
惣次、棒切れを放り、雑草の中から柔ら
かい葉を選んでとり、左手の親指と人差
し指で輪を作り、その上に葉を乗せる。
惣次、右の手のひらで左手の葉を叩く。
葉が破れ、大きな音がする。
由生子、真似をするがうまくいかない。
惣次、もう一度見本を示す。
由生子、うまくいかない。
惣次、柔らかい葉を選んで、由生子の左
指の輪に乗せて、小さな窪みを作ってやる。
由生子、窪みが残っている内にと、思い切り叩く。
『パン』と大きな音がする。
由生子「できた!」
由生子、左手が痛い。
惣次「(にこにこ)大丈夫か?」
由生子「痛い」
由生子、左手に乗っている葉をとる。
指が真っ赤になっている。
由生子、破れた葉を目の高さで透かし見
ながら、
由生子「お父さんーー」
惣次「ん?」
由生子「結婚しちゃったらね、お父さんより彼の方が大事だからーーー私」
  しんみりしてしまう惣次。
由生子「仕方ないからね」
惣次「――そりゃ、そうさ」
由生子「だから、今のうちに想い出いっぱい造ろ」
惣次「――――」
  惣次、なんとなく先ほどの棒切れを拾う。
  歩き始める二人。
惣次「そのために、一緒にきたのかな」
由生子「まあね、(明るく)意外と歩きやすい道ね」
惣次「北陸電力が手入れしたんだ。この道が面切りまで続いてるって、兄貴、言ってたな」
由生子「つらきり?」
惣次「面、顔の面ね、切りは刃物の切りだから、かっての死刑場だったらしい」
由生子「まあ(怖い)」
惣次「上杉謙信がね、七尾城攻略の時に、越中一向一揆勢と交戦したんだ。今兄貴が住んでいる集落で」
由生子「お父さんが生まれて育った所」
惣次「ああ。今から四百二十年程前、村は謙信支持と一揆勢支持に分かれ、結果は、一揆勢総本山の和睦で一揆勢が去ったため、謙信の楽勝だった。そして、ここで、一揆勢支持の指導者が死刑にされたんだー―」
由生子「お父さん、上杉謙信探して山に泊まるつもりだったんじゃない。叔父さん家じゃなく。だってこの重装備」
  由生子、惣次の背のリュックを持ち上げる。
惣次「(考えて)兼信、探しに来たのかって聞かれれば、そうかも知れないけど、予定の無いことしてみたかったんだ」
由生子「ふーん」
惣次「といって、ちゃんと兄貴の家という安全弁を持ってたけどね。サラリーマンの安全性が身についてるよ」
由生子「たいへん?仕事変わって」
惣次「まあね」
由生子「重なっちゃったね、由生の結婚とお父さんの配転」
惣次「ああ」
由生子「肩叩き?」
惣次「じゃないだろ。まだ、53だ」
由生子「(元気に)そうだよね。由生の自慢だよ、立派なエレクトロニクスエンジニアのお父さん!」
惣次、苦笑。
惣次「もう、ともいえるな」
由生子「53?」
惣次「ああ、由生が結婚しようかっていう年だから、しようがないか」
由生子「エンジニアに返り咲けるといいね」
惣次「デジタル時代に、アナログおじさんを会社が必要に思うかどうかだ。(ぶつぶつと)だけど定年までまだ6年あるんだ。このまま営業で終わるっていうのはつらいな」
由生子、惣次と腕を組みに寄って来る。
惣次、二人きりの場所で、由生子と腕を組んで、照れくさく、嬉しく。
二人、蜘蛛の巣と雑草を払いながら、腕を組んで歩く。
惣次の棒が交響曲を指揮するタクトのようだ。
惣次「うれしかったか?大好きな叔父さんに会えて」
  由生子、惣次のぎこちなさが伝わってくる。
もっと惣次に寄り添って、
由生子「うん」
  惣次、どっしりと歩く。
由生子「叔父さんの目、いい目よね。何でも言ってごらん、なにをしてもいいよっていう、やさしい目」

16.田舎の深実家・居間(回想)
大きい手製の和テーブルに、細い、やさしい目の敏夫(59)。
敏夫がビールの栓を抜きながら、
敏夫「よう来たの」
惣次「ああ」
惣次と由生子が敏夫の対面に座っている。
敏夫「何時間かかった?」
  惣次、ビールを受けながら、
惣次「5時に出たから(柱時計の10時を見て)ちょうど5時間かな」
  敏夫、由生子にも注ぎ、
敏夫「よう来たね」
由生子「お世話になります」
  惣次、もう一本のビール栓を抜き、敏夫に注ぎ、3人、グラスを上げて、乾杯。
  祥子(53)が、漬物などを持って現れる。
  祥子、座り、あらためてという感じで、
祥子「由生ちゃん、おめでとう」
由生子「ありがとうございます」
敏夫「よう、手放す気になったの」
祥子「すんなり賛成したんやって、惣次さん」
惣次「反対したってな(由生子を見る)」
由生子、惣次と見合って微笑む。
惣次「作戦負けかな」
祥子「(由生子に)作戦?」
由生子「結婚申し込みの日、彼がね、すっかり緊張しちゃって。夏でもないのに大汗かいて、カナリアになっちゃったの」
祥子「カナリア?」
由生子「歌を忘れた」
惣次「まあいいかっていう気にさせられたんだ。気の毒で」
敏夫「期せずして人柄、伝えたんやな」
由生子「ちゃんと言ったんですよ、タイミングがずれたけど、結婚させて下さいって」
惣次「(彼の物まねっぽく)長男だけど家が愛知県内だから、お父さんお母さんの所へいつだって行くことが出来ます」
祥子「カナリアが?」
敏夫「(祥子と同時に)お父さんお母さん、てか」
苦笑している由生子。
惣次「ほっとした由生の顔見ながら、別のこと考えてたなあ―――」
由生子「どんなこと?」
惣次「裕美をはじめて、ここで、親父さんとお袋さんに紹介した時のこととか、どうしても都会へ出るっていう俺のことを、寂しそうに見ていた親父さんの顔なんかーー」
由生子「失礼ね、私たちが一生懸命のときに、そんな色んなこと、考えてたんだ」
由生子、俊夫と祥子に笑いかける。
敏夫「惣は、地元って事は考えなかったもんな、なんでや?」
惣次「それがどうもーーー、今頃になって深く考えるよ。思い出すって言うかーーー」
祥子「うちやかして、4人家族ながにね、みんな外へ行ってしもて、2人だけになってしもたがいね」
若干ピントが外れる祥子。
惣次「兄貴んとこは、いずれ良ちゃんが戻ってくるわ」
敏夫「どうやろな」
惣次「あとは?」
敏夫「こんな家内工業、あと継いだかてどうもならんわ」
惣次「だれにも気ぃ使わんでもいいし、祥子さんといつも一緒に居れるし、(ビールを敏夫に注ぎ)昼から飲めるし。いい仕事でないかい」
  敏夫、苦笑で受けて。
敏夫「戻ってきても、サラリーマンやさ。山と田んぼと、家内工業はおらで終い」
  惣次、話題を戻す。
惣次「兄貴は一度も外へ出ようとは思わんかった?」
敏夫「いっぺんも思わんかったわ」
惣次「うん」
敏夫「じぃちゃんと親父たちが、苦労して手にしたとこやさかい」
  祥子、由生子に注ぎ、
祥子「いいね、飲めて」
由生子「済みません。叔母さん、全然(飲めないのですか)?」
祥子「(頷き)由生ちゃん、お父さんと最後の旅行ね」
  敏夫、惣次をいたわりの目で見る。
敏夫「旅行と言えるかね」
苦笑している惣次。
敏夫「どうした?急に思い立ったんか。山へ行ってみようて」
惣次「由生が、式前に兄貴に会いたいって言うから」
敏夫「嬉しいちゃ」
由生子「便乗なんです。ほんとは、お父さんのちょっとした懐古が始まり」
敏夫「かいこ?」
由生子「昔が懐かしい懐古です」
敏夫「おらっちゃのルーツやさかいな、山は」
  敏夫も懐かしい表情になる。

17.山道
惣次と由生子が歩いてくる。
坂道を登りきると、道は平坦になっていて、突然視界が広がる。
由生子、立ち止まり深呼吸。
惣次も。
  道は三叉路になっていて、行く先は左と真っ直ぐに別れている。
惣次「ここが、『馬止め』」
由生子「まどめ?」
惣次「馬を止めた位の意味だろうね」
由生子「上杉謙信!ルーツだ」
惣次「左へ行くと『さんまい田』」
由生子「さんまい」
惣次「火葬場のことだよ」
由生子「まあ」 
真っ直ぐの方の道は、谷を左に巻いて向こうの段々畑に続いている。
惣次「あのひと山、家のだよ」
由生子「あの丸い山、段々畑、全部?」
惣次「そう」
由生子「凄い」
惣次「おじいちゃんが一代で手に入れたんだ」
由生子「おととし亡くなったおじいちゃん?」
惣次「そうじゃなくて、亡くなったおじいちゃんの親父さん。由生の大じいちゃん」
>由生子「おじいちゃんに似て働き者だったんだ」
惣次「似たのはおじいちゃんだろ」

18.段々畑(面切り)
段々畑にやってきた、惣次と由生子。
立ち止まり、周囲を見回す。
  杉が植林されている。
惣次「兄貴、畑止めたんだなーーー」
由生子「ここもぜーんぶ、大じいちゃんが手に入れた深実家の土地?」
惣次「そう」
由生子「一代で?」
惣次「そう。親父さんが買ったのは、今も兄貴が稲作ってる、下の田んぼ位かな」
由生子「大じいちゃんは、もともとここよりずっとずっと山奥に住んでたんだったよね」
惣次「ああ。山を出るとき、杉の大木を売って、それでこことか買ったんだそうだ」
由生子「開墾したの?」
惣次「そうじゃなくてねーーーここが、『面切り』なんだ」
由生子「死刑場のーー」
惣次「ああ」
  由生子、辺りを見回し、怖そうに惣次に寄り添う。
由生子「ここが、死刑場か」
惣次「何度か売買されたけど、凶作が続いて、たたりとかって村の人が敬遠していたのを、大じいちゃんが買ったんだそうだ。格安で」
由生子「格安だろうね」
惣次「『面切り』ったって、謙信ん時だけだよ。もともとが畑だったんだから」
由生子「うん」
惣次「それに、ここは刑が執行されただけで、死体は『さんまい』まで運んで火葬にしたんだ」
由生子「さっきの『馬止め』を左に行ったとこ?」
惣次「ああ」
由生子「ね」
惣次「ん?」
由生子「もしかして」
惣次「―――」
由生子「『さんまい』も深実家の土地?」
惣次「そう」
由生子「大じいちゃんが買った?」
惣次「うん」
由生子「わあ」
惣次「大じいちゃん、格安だけでなくて、意味があったんだ。『面切り』も『さんまい』も」
  由生子、ブルッと身体を震わす。
由生子「核心!」
惣次「お父さんが村を出るしか無いと思ったのも、兄貴がいっぺんも思わなかったのも、根がここにあるのかも知れない」
由生子「ルーツって言ってらしたわ、叔父さんーー」

19.深実家・居間(回想)
  居間での敏夫、惣次、由生子。
敏夫「おらっちゃのルーツやさかいな、山は」
惣次「変わったかな」
敏夫「北電が入ったさかい」
惣次「その節は、ありがとう」
敏夫「なんも」
敏夫、惣次に注ぎかけたビールの手を止め、
敏夫「おう、そうや、途中まで車で行けるぞ」
惣次「車?」
敏夫「北電が立派な道路作ったんやわ」
惣次「どこまで?」
敏夫「そうやの、『馬止め』の1km位手前までかな。鉄塔メンテの舗装道路や」
惣次「(由生子に)そこまで車で行くか」
由生子「飲んだよ、大丈夫?」
  惣次、グラスのビールを飲み干して、
惣次「人が通らないから、鼠もおらんやろ」
  祥子が入ってきて、
祥子「おにぎり、握ったから。お昼にでも食べてね」
惣次「ありがとう」
  由生子、会釈とビールを飲み干す動作が一緒になってしまう。

20.段々畑(面切り)
  惣次と由生子が段々畑の中の小道を下ってくる。
由生子「お父さん、叔父さんにその節はってお礼言ってたけど、あれってーー」
惣次「そう、北電の補償金。由生には親父さんの形見分けみたいに言ったけど、兄貴がどうしても取っておけと言ってね」
由生子「あれがそうだったの」
惣次「兄弟で半分づつって言うのを、そういうわけにもいかないだろ。値引き交渉した結果が一千万」
由生子「変な交渉。だけど、マンションの公庫完済は、叔父さんから貰ったお金で、したのね」
惣次「もともとは大じいちゃんの財産だ」
由生子「うん」
あぜ道を下る二人。
由生子「わあ、海!」
惣次「日本海だ」
  前方が開けていて、遙か向こうに海が霞んで見えるのだ。
  立山連峰が海の上に聳えている。
由生子「いい景色ね」
惣次「ああ(自慢そうに)」
  二人、深呼吸。
  山の中腹の左端に朽ちた山小屋が建っている。
  惣次、段々畑を山小屋の方へ下りながら、小さく口ずさむ。
惣次「蜜柑の花が 咲いていた」
惣次「思いでの道 丘の道」
  由生子も一緒に歌う。
二人「遥かに見える 日本海」
二人「お船が遠く 霞んでる」
  惣次、繰り返す。
由生子「お父さん、腰折っちゃって悪いんだけどね」
惣次「(中断し)ん?」
由生子「それって、遥かにみえる 日本海、
じゃ無くて、(歌う)遥かに見える 青い
海 じゃない?」
惣次「―――」

―――フラッシュ
  惣次の夢。
  綾乃が縄をないながら歌う。
綾乃「遥かに見える 日本海」

惣次「日本海」
由生子「お父さんに、ちっちゃい頃から、(歌
う)日本海、って教えられたけど、友達が
ね、由生なんだかおかしいよって」
惣次、現実に戻る。
由生子「ほんとは、(歌う)青い海、らしい
よ(続けて歌う)お船が遠く 霞んでる」
惣次「青い海、かーー」
由生子「でもいいよ、日本海で」
  二人、山小屋の前までやってくる。
  山小屋の背後には雑木の林が続いている。
由生子「さっきの、北電の鉄塔用地って、それって、ここ?」
惣次「じゃなくて、『さんまい』」
由生子「―――そうなの」
惣次「ああ」
由生子「なんだか、因縁めいてる」
惣次「二束三文で手に入れた土地で儲けたって、兄貴、陰で言われてるらしい」
由生子「そんな、ね」
惣次「田舎って、好奇心と猜疑心の寄り集まりだから」
由生子「叔父さんが、かわいそうーーー」
惣次「苦労したことって、みんなみとめてくれない、大じいちゃんとじいちゃんと兄貴が苦労したことや辛かったことに、みんな目をつむって、楽に金を手にしたことだけ見る」
由生子「―――」
  祭囃子の音が先行して、

21.村祭り(イメージ)
明治中期の、夜。
  笛、太鼓、鉦の音。
  一メートルを超す長方形の灯明を両側面に燈したご神体が、木製の車輪に曳かれて勇壮に村を練る。
獅子舞いがにぎやか。
獅子頭を先頭にし、唐草模様の胴体・尻尾の獅子を、6人の若衆が演じている。
天狗の面をつけた若衆が、獅子にダメージを与える。
そのたびにあがる歓声と激励の声。

22.旧深実家(イメージ)
  賑やかな祭囃子の歓声が聞こえている。
囲炉裏を囲んでいる柄策と綾乃(共に25歳位。実は、綾乃は由生子の二役)。
  祭りの膳で酒を静かに飲んでいる二人。
  章一郎(4歳位)が、泣きべそで入ってくる。
柄策「やっぱ、仲間してもらえんだか」
章一郎、柄策の胸に飛び込んで泣く。
柄策、章一郎の頭を撫でてやる。
綾乃も辛い。
柄策「章一郎、山で祭り、すっか」
章一郎「山で?」
柄策「そうや、3人だけで」
綾乃「章ちゃん、ごちそう持って山、行こ」
  柄策の胸から離れた章一郎の顔が輝やく。
  その目に未だ涙が残っている。

23.段々畑の山小屋内(イメージ)
  『面切り』の山小屋。
  畑耕作用具の鍬や鎌や箕、茣蓙製の雨具などが丸太に吊るされている。
  祭りの喧噪はここまでは聞こえない。
  手製のテーブルに重箱の祭りの料理。
  土を掘って造った囲炉裏では、慎ましく木が燃えている。
  火を囲んで柄策、綾乃、章一郎。
  彰一郎、祭の天狗の舞いを舞う。
  見よう見真似で覚えた舞だ。
  酒を飲みながら、囃す柄策と綾乃。

 *   *   *
  彰一郎が柄策のひざで寝入ってしまった。
  綾乃、柄策に酒を注ぐ。
  柄策、綾乃に注ぐ。
  二人、ゆっくり飲む。
柄策「苦労かけるの」
綾乃「なんも」
深い信頼と愛情で結ばれている二人。
綾乃、大きな瞳で柄策を見る。
綾乃の目はいつも濡れていて、張りのあるきれいな瞳が印象的だ。

24.山小屋の前
  惣次と由生子が山小屋の入り口に立っている。
  朽ちかけた山小屋。
惣次「秋祭りになると、3人でここでごちそ
うを食べて、歌を歌って。太陽が昇る前に
村人に見とがめられないよう、ひっそりと
家に戻った」
由生子「どうして、村の人、祭りに入れてく
れなかったの」
  由生子の目に、みるみるうちに涙が浮かんでくる。
惣次「普通のよそ者ではなかった。大じいちゃん達」
由生子、涙を溢れるままにまかせ、
由生子「かわいそうだよ」
  惣次、由生子の感情の発露に少し驚く。
惣次「由生―――」
由生子「だって、かわいそう(声にならない)」
惣次「大じいちゃんとしては、ここで収穫祭
をすることが、刑死した先祖の仲間への供
養でもあったかも知れない」
惣次、山小屋の引き戸をこじ開ける。
惣次の後ろから山小屋の中を覗いた由生子(クローズアップ)
由生子の顔が、あっとたじろぐ。

25.山小屋内(由生子のイメージ)
  柄策が杯を傾けている。
  膝に章一郎。
綾乃が、由生子に振り返った。
綾乃と目が合う由生子。
共に25歳の、そっくりな目の、綾乃と由生子。
やさしい誘い込むような表情の綾乃。

26.元の山小屋
  由生子、目が慣れてくると、がらんどうの土間。
  8畳ほどの広さだ。
  古い農機具が立てかけてあるが、整然としている。
惣次「どうした」
由生子、中を覗いたまま凍り付いている。
惣次「ん」
由生子「え」
惣次「(もう一度)どうした」
由生子「―――うん」
惣次「出かけようか。これからがきついぞ」
  惣次、長袖を折っていたのを延ばす。
  帽子の顎ひもを締め、タオルを首に巻く。
  軍手をする。
  由生子も従う。
  お互いの姿を、指差しながら笑う二人。
惣次、山小屋の中央を突っ切って、裏戸口を開ける。
由生子「ん?」
惣次「ここが、奥の山に通じる近道さ」
由生子「へえ」

27.山道
  惣次、鎌で雑草を払いながら進む。
  雑草を払うと、意外にしっかり踏み固めた1m幅ほどの白い道が現れる。
  少し離れて歩く由生子。
由生子「お父さん」
由生子「(もう一度)お父さん!」
惣次「え?」
  惣次が振り返ると、二人が通った後が雑草のトンネルになっている。
  雑草の高さが背丈を遙かに超えているのだ。
由生子「お父さん、疲れてしまうよ。そうかと言って私、鎌は無理だろうし」
惣次「そうだな、ちょっと端折るか。こんなにひどいとは思わなかった」
  由生子、惣次の前へ出て這って進んでみる。
  雑草を払うよりずいぶん早く進むことができる。
  惣次、苦笑して、
惣次「由生、由生!顔に傷つくさ。あと20日で式だぞ」

 *   *   *
  惣次、中腰で最低限の雑草を払って進む。
  後を歩く由生子は、それだけでもずいぶん楽だ。
惣次「(大声で)こうしておいた方が、迷ったときに役に立つよ。帰りも楽だし」
由生子「(大声)迷うなんてことあり?」
惣次「40年も前に兄貴と2度ほど通っただけ
だからね。ただ、道は一本切りだったから、
迷いはしないと思う」
由生子「頼りないのね」
  惣次、平坦な所を選んで円形に雑草を払う。
惣次「1時過ぎたよ、昼にしよう」
由生子「ミステリーサークルみたい」
  由生子、はしゃぎながら二人が対面で座れる場所を確保する。
  それぞれのリュックを降ろし、おにぎりを取り出す。
  水筒を出す惣次に、
由生子「お父さん、缶ビール持ってきたでし
ょ」惣次「着いてからにする」
  由生子に、惣次の緊張が伝わってくる。
  惣次も気づいて、
惣次「大丈夫だよ。迷ったりしないから」
由生子「道、踏み固めてしっかりしてるね」
惣次「山奥の生活、自給自足ったって、生活
必需品は町へ出て整える必要があるだろう
し、急病人が出ることもあるだろうし。大
切な生活道だったんだ。バイクも走ったん
だぞ」
由生子「ふうん」
  おにぎりを食べる二人。
由生子「ね」
惣次「うん?」
由生子「ご先祖さん、どうしてこんな山奥で
暮らすようになったの」
  惣次、水筒に直に口を付けて麦茶を飲む。
惣次「上杉謙信に捕らえられた村の指導者10
人が、脱走したんだ。半分が逃げ切ったけ
ど、半分は『面切り』で捕まってその場で
切られたーーー」
  由生子も水筒から直に麦茶を飲む。
由生子「ご先祖さんは、逃げ切ったのね」
惣次「ああ」
  由生子、仰向くと、ミステリサークル状の上空で、木漏れ陽がキラッと光る。
  由生子の瞳の中で、キラッと光る木漏れ陽。

28.山中(イメージ)
  道無き山中を夢中で逃げる若者5人。
  1人は女性だ。
  由生子の声が先行する。
由生子の声「村は、どうなったの?」

29.元の山道
惣次「神社や指導者の家は焼かれて、宝物な
んか全部持ってかれたけど、謙信に付いた
人はもちろん、一揆勢側のほとんども謙信
の監視下で生き残ったんだ」
由生子「ご先祖さん、悪くないじゃない」
惣次「一揆側の生き残った村人は、謙信側の
村人と一緒になってご先祖さん達につらく
当たった。踏み絵的で、ありそうなことじ
ゃないか」
由生子「そうかなぁ」
惣次「逃亡に失敗した指導者たちが、見せし
めのように殺されたろ。逃げた先祖さんの
つらさは想像できるし」
由生子「だけど、村のために戦ったんでしょ」
惣次「謙信は七尾城攻略が最大の目的で、この村は行きがけの駄賃程度にしか見ていなかった。食事さえ提供すれば、なんの被害も無かったかも知れない」
由生子「――――」
惣次「指導者達は村を間違った方向に導いてしまったことになる」
由生子「結果論よ。一向一揆勢って凄く強かったんでしょ」
惣次「総師の本願寺顕如が、謙信に和睦を持ちかけて来ていたんだ。本山が和解したから、越中一向一揆勢は水が引くように引き上げてしまった。一大勢力の一向一揆勢と、武田信玄、織田信長、上杉謙信が、敵になったり和睦したり、イタチごっこみたいな時代だったんだ」
由生子「お父さん、詳しいのね」
惣次「兄貴と一緒に研究したんだ」
由生子「一緒に研究したのに、お父さんは村を出て、お兄さんは残ることにしたのね」
惣次「兄貴と辿った道を、由生と一緒に辿るとは思わなかった」
由生子「お父さんが村に残ってたら、由生はこんな形ではこの世に存在しなかったね」
  感慨深げな惣次と由生子。
惣次「まあ、先祖さんはそんなこんなで、逃げた山で、暮らすようになったんだ」
由生子「――――ご先祖さんたち、ここら辺を通って山へ逃げたのかも知れないね」
  二人が座るミステリーサークルに、一陣の風が雑木や雑草をゆらして通り過ぎる。
惣次「わあ」
  元の静けさに戻る。
由生子「道案内してくれたのかな」
惣次「ご先祖さんが?」
由生子「そう」
惣次「由生が、ミステリーサークルなんて言うから」
由生子「ご先祖さんが謙信と無意味に戦かったなんて、酷いことお父さんが言うからよ」
惣次「今日は宇羅盆会だから、ご先祖さんが霊界に帰る日だ」
由生子「うん」
惣次「まともに取るなよ」
  由生子、惣次から離れ、
由生子「お父さん、そんなに深刻?」
惣次「なにが」
由生子「ご先祖さんにご案内を願わねばならないほど、道に迷っちゃった?」
惣次「一本道だから、それにほら、白道を踏み外さなければ良いんだから」
  惣次、大急ぎでおにぎりを頬張りながら、
惣次「早く目的地まで行こう」
由生子「そうだね」
  のんびり構える由生子を、惣次が「ン?」と見る。
由生子、急いでおにぎりを食べる。
二人、食べ終わって麦茶を飲むのもそこそこに、立ちあがる。
惣次、鎌を振るうが、昼食前と比べて草の刈り方が荒くなったようだ。
急いでいるのだ。
二人が通りすぎたミステリーサークルに、なんだか人影らしいものが像を結ぶ。
由生子、気配を感じて振り返る。
老人らしいおぼろげな姿が浮かぶ。
惣次が由生子の視線に気付いて振り返る。
ミステリーサークルには誰もいない。
ミステリーサークルを見つめている由生子。

 *   *   *
  小休止している二人。
  由生子、水筒を取り出し、飲む。
  惣次も思い出したように飲む。
由生子「迷っちゃったね」
惣次「ああ、だけど大丈夫だよ。戻り道ははっきりしているから」
  惣次、来た道を振り返る。
  鎌をかなり乱雑に使ったので、来た道がはっきりしているとは言えない。
惣次「とも言えないかーーー」
  由生子、前方になにか気配を感じている。
  惣次、気持ちは焦って、水筒をリュックにしまい、鎌を取り立ちあがる。
惣次「由生、早く飲んでしまえ」
  惣次、どちらに進むか舜時躊躇するが、前方へ進むことにし、鎌を振るう。
由生子「お父さん、待って!」
  惣次、由生子に振り返る。
  由生子、前方を指差す。
  前方の雑草がゆらゆら揺れている。
  惣次、後ずさり、由生子を守るように並ぶ。
  やがて雑草の中から、綾乃(85歳位)が徐々に姿を出してくる。
  凍りつく惣次。
  それでも必死に由生子を守る。
綾乃「やっぱ迷ったかいの」
  口がきけない惣次。
  由生子、呑みかけの麦茶を綾乃に渡す。
  綾乃、匂いを確かめ、ゆっくりゆっくり飲む。
綾乃「なんと、うまい」
綾乃、やさしいやさしい微笑で、器を由生子に返す。
  綾乃、その微笑のままで惣次に向く。
惣次「――――」
  綾乃、惣次の右手の鎌をやさしく奪う。
  惣次、されるまま。
  綾乃、無駄な力を入れず、しかも速い速度で雑草を刈る。
  唖然としている惣次を促して、綾乃の後に続く由生子。

 *   *   *
綾乃を先頭に、惣次は由生子をかばうようにして、やってくる。
突然、ミステリーサークルに出る。
惣次「あっ」
  綾乃、二人に笑いかけ、右の方角へ鎌を振るう。
  惣次、綾乃が刈った雑草の下を確認する。
  白いしっかりした道が見える。
惣次「さっきは、まっすぐ行ったんだ」
由生子「行こ」
  惣次、綾乃に追いつき、意を決する。
惣次「あの」
  綾乃、優しい微笑で振り返る。
惣次「私、下の村の深実と言いますが」
  頷く綾乃。
惣次「正確には、村の者ではなく、名古屋に住んでいます。でも兄は下の村に居りーー」
  由生子が、お父さんしっかり、というように惣次の腕を揺する。
惣次「ああーー」
由生子、惣次と代わり、
由生子「私たち、ご先祖さんが住んでいた山里を訪ねてきたんです」
綾乃「はい」
由生子「案内していただけるんですね」
綾乃「はい」
綾乃と由生子を交互に見る惣次。
由生子「父の深実惣次と、私は由生子です」
  綾乃、にこにこと由生子の紹介につれて惣次と由生子を見る。
由生子「おばあちゃんは」
綾乃「あ・や・の」
由生子「お願いします」
  由生子、お辞儀する。
綾乃「もうすぐのとこまで、来とったがに、惜しいとこで迷ってしもうたね」
  綾乃、器用に鎌を使い、進む。
  後に続く惣次と由生子。

 *   *   *
  ミステリーサークルから見る3人。
  綾乃が鎌で先行し、惣次と由生子が並んで従っている。
  その姿が、やがて雑草の中に消えて行く。

30.山里
  4戸の家を中心に、周囲の杉が伐採され、広場になっている。
  まるで、大きなミステリーサークル。
忽然と、綾乃が広場に姿を現す。
続いて、惣次と由生子も。
惣次、辺りを見まわす。
古色蒼然とした4戸の集落。
板屋根に草が生え、壁土が剥げ落ち、板戸がかけ落ちている。
惣次「!(夢の中の光景だ)」
惣次、我に帰り、由生子を見る。
由生子は、厳粛な表情になっている。
綾乃、二人を広場中央のテーブル付きベンチに案内し、去って行く。
  綾乃が中央の家に入るのを見届けてから、腰掛ける惣次と由生子。
惣次「なんなんだろう」
由生子「お父さん、来たことあるんでしょ」
惣次「40年前だぞ、あの頃には、もう誰も住んでいなかったんだ」
由生子「宇羅盆会よ」
惣次「由生、由生はこんなこと平気な子だったか?」
由生子「悪いことにはならない予感がするわ」
惣次「予感?由生、若しかして、予知能力―」
由生子「予知能力って?」
惣次「前からあったか?、その、これは成功するだろうとか、ここへ行けば会えるだろう、とかさ」
由生子「さあ―――、そう言えば、面切り以来、なんだか思考回路がぴりぴりしてるわ」
惣次「泣き出した頃からか?」
由生子「そうそう、でもどうして?」
惣次「大ばあちゃんに、予知能力があったって聞いた事あるぞ」
由生子「―――」
惣次「大ばあちゃんは、上杉兼信が、村人の監視のためにつけた重臣の子孫だ」
由生子「まあ。大じいちゃんと、大ばあちゃんとは為さぬ仲、の筈ね」
惣次「ああ」
由生子「そして、名前は、綾乃」
惣次「(思いだし)さっきのーー」
  家の中から、柄策(85歳位)と綾乃が出てくる。
惣次「!」
  柄策と綾乃、二人の前に腰掛ける。
慈愛に満ちた表情で、ゆっくりゆっくり惣次と由生子を見る柄策。
  綾乃、4つの茶碗にどぶろくを注ぐ。
  柄策、それを惣次と由生子に勧めながら、もう一度二人を交互に、いとおしく見る。
綾乃「いろいろ入っとるさかい、疲れがとれるよ」
  4人、乾杯みたいな感じで飲む。
由生子「おいしい!」
惣次「(確かにうまい)」
  綾乃、惣次と由生子に注ぎ足す。
  惣次、ひと息に飲み干してしまう。
由生子「大丈夫?」
惣次「(由生子にだけ聞こえるように)酔いでもしないと、精神状態が保たれないよ」
  綾乃、大丈夫だよ、という感じで、更に惣次に注ぐ。
惣次、また空ける。
今度は柄策が注ぐ。
惣次、流石に赤い顔になってくる。
綾乃、静かに歌い出す。
綾乃「蜜柑の花が 咲いていた」
綾乃「思いでの道 丘の道」
  由生子も歌う。
綾乃・由生子「遥かに見える 日本海」
綾乃・由生子「お船が遠く 霞んでる」
  にっこり見合す綾乃と由生子。
柄策「おまんのあの頃に、そっくりや」
  そっくりな目の綾乃と由生子。
柄策「よかったの、いい人と巡り合うて」
由生子「知ってみえるんですか、私の結婚」
柄策「この子が(惣次を見て)教えに来てくれた」
惣次「教えに来た?今日のこと(かな)?」
柄策「1週間前の夕方(綾乃に)のう」
  微笑んでいる綾乃。
惣次「1週間前の夕方?!」

31.山里(惣次の夢の再現)
  打掛白無垢の由生子が、ストップモーションで歩く。
誰かにエスコートされているように右手を差し出し、しずしずと。
雪が由生子を守るように、周囲を舞っている。

32.元の広場
惣次「(前シーンの表情のまま)?!」
綾乃「おめでとう、由生ちゃん」
由生子「あやのさんーーー」
柄策「(惣次に)教えてくれて、ありがとう」
  惣次、涙が出てしまう。
柄策「(惣次に諭すように)悔いが後に引かん行き方をしんと、だしかんぞ」
惣次「――――」
柄策「おらたちが見とったるさかいに、な」
  柄策、懐から観音像を取り出し、惣次の前に置く。
  慈愛に満ちた観音象の顔。
  惣次、見つめている観音像が涙で霞んで
しまう。
綾乃「あれから1週間かけて、この人、仕上げたんやよ」
  柄策と綾乃、立ちあがる。
由生子「(叫ぶ)待って、まだ行かないで」
綾乃「由生ちゃんなら、知っとるやろ。ここに、わたしら長く居れんことを」
由生子「お二人が結婚されたときのこと、知りたい。(一気に)村を守る為に戦い敗走した若者と、支配した村を治めるために派遣された側の子孫同士の出会いを」
柄策「昔も、今も、道は一本や」
綾乃「いつの日か、また、おいで」
  家の方へ歩き出し、最後の微笑みを惣次と由生子に投げる柄策と綾乃。

33.村の道・夕方(イメージ)
背負子の荷物をしょって、村の道を俯いて歩く、19歳の柄作。
村人の集団がやってくる。
道脇の叢に入り、俯きながらやり過ごす柄策。
大人の村人は、完全に柄策を無視して通りすぎる。
子供達が柄策に罵声を浴びせる。
集団の最後に19歳の綾乃(由生子の二役)がいた。
燃えるような、濡れた大きな瞳で柄策を見る綾乃。
村人が引き返してきて、綾乃を連れ去る。
去った綾乃の方を見ている柄策。

34.日本海が見える丘(イメージ)
柄策と綾乃が海を見ながら語り合っている。
海の向こうに立山連峰。
そっと柄策に寄りそう綾乃。
柄策、綾乃を抱く。

35.元の広場
  惣次と由生子が取り残されたように居る。
  長い間、無言の二人。
  やがて、由生子が立ちあがり、惣次の手を取る。
  由生子、惣次のエスコートを促す。
  惣次と由生子、広場を、バージンロードのように歩く。
  家の中へ消えた、柄策と綾乃に見せるように。
由生子「見ててくださいね、これからも――」
惣次「―――」
  歩く二人。
  ベンチの観音像が、そんな二人を見守っている。

36.深実家・仏壇の間(夜)
古い大きな仏壇。
敏夫と惣次が、真菰の上の精霊棚を取り除いている。
敏夫「山では、親族どうしの結婚で血が濁るがが、でっかい問題やった。柄策じいちゃんと綾乃ばあちゃんとは、純粋な血が呼び合うたんかも知れん」
供物の盆花と野菜、果物を下げる敏夫と惣次。
後方で手伝う、祥子と由生子。
宇羅盆会が終わったのだ。
敏夫「柄策じいちゃんと前後して、一組の夫婦と若者が山を降り、山には誰も居らんようになってもた」
惣治、リュックの中から観音像を取り出し、仏壇に供える。
慈愛に満ちた表情の観音像。
敏夫、鉦をチーンチーンと叩く。
手を合わせる惣次と由生子。

37.「ふたたびの道」

『完』

直近の日記から

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